P-Edge

薬剤師のキャリアにエッジを立たせる

P-Edgeな人のコア・インタレストVol.2 スポーツ好きな男が自分で選んだ3足の草鞋(岡田英之)

P-Edgeな人のコア・インタレス
~あなたを突き動かしているものは何?~
Vol.2 スポーツ好きな男が自分で選んだ3足の草鞋(岡田英之)
取材:2018.11.26

コア・インタレストとは、キャリアデザインの元となる自分の最たる関心事。自分の本質的な行動の源。

 

こんにちは、P-Edgeの富澤です。
エッジの立った薬剤師さんからキャリデザインを学ぶ第2弾。
今回のお相手は、
「MR⇒ドラッグストア⇒調剤+スポーツファーマシスト+鍼灸師
という岡田英之さん。
 f:id:toolpox:20181129204134j:plain

 2006年北里大学薬学部卒、有限会社スミレ薬局、株式会社ファーコス・ファーコス薬局渋谷、株式会社ウィンゲート所属、スポーツ大好き2児の父、茨城県在住の36歳。 

岡田さんとは僕の以前の勤務先が一緒なんですが、部署が異なるので絡みはありませんでした。城西国際大学の授業でスポーツファーマシストとしてゲスト講師をお願いしたことがきっかけで仲良くなりました。その当時には鍼灸の専門学校に通っていて、「ダブルメジャーを目指す薬剤師さんかぁ、すごいな」と思っていました。

ダブルメジャープロフェッショナル:π型人材ともいい、2つの専門性を操るハイブリット感覚・越境マインドを持った人材のこと。


いくつかの大学でキャリアの話をすると学生さんから、「スポーツファーマシストとして働くことってできるんですか?」という質問を時々受けます。どういう形で資格を生かすかという話だと思います。薬局で勤務しながら、時々来局するアスリートのアンチドーピングの対応をするのだって、資格を生かした働き方。でも、調剤やOTC販売ではなく、もっとアスリートの近くで、スポーツファーマシストだけの職域で生計を立てたいと言われると、現状ではちょっと難しいのでは?
似たようなことを考えた岡田さんは、スポーツファーマシストに鍼灸師を足し算して、もっとアスリートの近くで仕事をすることを目指されました。でも、そこには薬剤師のアイデンティティを残しつつ。
3足の草鞋のキャリアを試行錯誤する岡田さんのキャリアを紐解いていきましょう。

年収は150万円ぐらい下がりました。

2006年日本アルコン株式会社にMR職として入社。そのころは、薬局=インドアなイメージがあって、スポーツ好きだし、アウトドアの考えを持っていたので、外回りの営業職を選択しました。
2009年に株式会社いわい(その後セイジョーに調剤・ドラッグ事業を譲渡、現ココカラファインホールディングス)に転職。3年間MRをやって、社会人としての土台が作られました。薬剤師の職能を生かしてスポーツに関わりたいという想いが生まれたので、薬局に行こうと思いましたが、人材紹介会社に年収維持を希望したらドラッグストアを紹介されました。製薬会社の中での昇格昇進とかにはあまり関心がありませんでしたね。
調剤併設店でたまにOTCにも関わり、3年半のうち1年半は管理薬剤師もやらせていただきました。最初の配属店舗は1日50枚、常勤薬剤師1人と派遣1人でしたが、品目数も多かったし、診療科もバラエティー豊かでめちゃめちゃ忙しかったです。紹介会社のキャリアコンサルタントからは忙しいと聞いていましたが、ここまでとは(笑)。調剤経験がないと、一日の処方せん枚数や薬剤師数を聞いてもピンとこない。面で受ける50枚の忙しさがわからなかったんですよねぇ。でも、薬剤師としては鍛えられました。
2010年にスポーツファーマシストの資格を取得し、何らかの形でスポーツに携わりたかったけど現職では実現が難しいと感じました。社内でのスポーツファーマシストの知名度は低いし、管理薬剤師の業務が忙しくて、このままでは資格が生かせない。そこでまた人材紹介会社経由で求人を探しました。スポーツファーマシストを生かすという発想のある会社を条件にしました。そこで紹介されたのがファーコスでした。
自分の想いに共感してくれて、応援もしてくれる。先見の明もある。でも、年収は150万円ぐらいダウンしました(笑)。 

f:id:toolpox:20181129204701j:plain

恋愛は考えていなかった。自己実現のみ。

2012年に株式会社ファーコスに正社員として入社。渋谷の店舗に配属されました。当時30歳、彼女もいませんでしたし、年収が下がることよりも、スポーツファーマシストとして、薬剤師として、自己実現ができるならという想いでしたね。
当時社内では、2013年の東京国体に向けた準備委員会が動いていました。都内にある自社薬局に国体選手が来局した際に、アンチドーピングの対応ができるようにということでちょうど入社したタイミングの2012年から準備が始まりました。選手が来局した時の対応フローチャート、説明用の資料、東京都薬剤師会が提供している店頭用POPの作成や社員向け勉強会など、準備は結構大変でした。
また、国体の方ではスポーツファーマシストのボランティアが募集されていて、JADAのアウトリーチとして選手への啓発活動にも参加しました。
当時は、スポーツファーマシストの活動は薬剤師会が主体で、かつて勤務していたドラッグストアは薬剤師会に加入していなかったので、情報が全然入ってこなかったんです。ファーコスには「ファーコス・スポーツファーマシスト・クラブ」という社員の自主的なサークル活動のようなものがあります。有資格者も多く、とても刺激的です。ファーコスに転職して、念願叶ったという感じですね。 

彼女の反対は特になく、社会人+専門学校生に。

2014年に鍼灸の専門学校に入学しました。国体に向けた活動が落ち着いてきて、もっと自分で何かできないかな、選手に近づくには何かないかと思案するようになりました。スポーツトレーナー、理学療法士鍼灸師柔道整復師などありますが、私は鍼灸の道を選びました。
学校に通うとなると、勤務時間を調整してもらわないといけないので、会社に迷惑をかけることにもなるし、学費もかかる。結構悩みましたが、薬局長も快諾してくれましたし、特待生にも選ばれて学費は半額に!そのころ仲良くなった今の妻とは、入学後にお付き合いをスタート。32歳の挑戦はツキに恵まれていました。
早出で17時半退勤というシフトにしていただき、平日18~21時に専門学校へ。その後しばらくして、週4日9~17時のパート勤務にチェンジ。2015年に33歳で結婚。パート薬剤師&専門学校2年生ですが、薬剤師の妻はフルタイムの正社員でしたし、MR・ドラッグストア時代に給料を使う暇もなく荒稼ぎしていましたから、収入面での心配はありませんでした。
2016年1月に第一子が生まれました。妻は実家の薬局で働いていたので、私が代わりに勤務することに。妻の実家で週に3~4日、ファーコスの渋谷の店舗で週に2~3日、そして夕方から専門学校へ。自宅も妻の実家の薬局も茨城県古河市にあるので、渋谷や学校はそこそこ遠いです。そんな生活でも体力的には辛くありませんでしたね。
授業も楽しかったです。薬学での学びがまったくかすりもしない分野の新しいインプットが刺激的でした。その学びが逆に普段の薬剤師業務に生かせることもありました。ましてや自ら選んだ道ですからモチベーションは高いですよね。この学習へのモチベーションが薬学生時代に備わっていたらと思うと・・・。きっと今とは違う道を歩んでいたかも。2017年3月に専門学校を無事に終了し、鍼灸師の資格も取得できました。 

もっている男

ファーコスの渋谷の店舗には、多様なキャリアを持つスタッフがいました。弁理士を目指しその後資格を取得した人、薬膳料理のお店を開業した人、そしてなんと鍼灸師の資格を持った人まで。専門学校選びなどをその人に相談したのは言うまでもありません。こんな珍しい薬局はなかなかないでしょうね。そういう人たちに囲まれていたので、ダブルメジャーを目指すことにあまり違和感を抱きませんでした。本当に運がよかった。
また、鍼灸の学びとは別に、特定非営利活動法人NSCAジャパン(日本ストレングス&コンディショニング協会)が認定しているCSCS(認定ストレングス&コンディショニングスペシャリスト)の資格試験のための講座を選択していたのですが、その講座で教えていた株式会社ウィンゲートの遠山健太社長に、鍼灸師の資格を生かして、アスリートと関わる仕事をしたいと相談したところ、ちょうど始めたばかりのボディケア事業部の治療院で週に2日程度雇っていただけることになりました。これまた運がよかった。
理解のある会社、上司、パートナー、そしてよい影響とチャンスを与えてくれた周りの人たち。私は、もっている男かもしれません。2017年10月には第二子も生まれましたし(笑)。 

f:id:toolpox:20181129204740j:plain

やりたいと思ったらとことん。

あれもやりたい、これもやりたい。薬剤師もスポーツファーマシストも鍼灸師も、そしてワークライフバランスも大事。週に数日ずつやらせてもらえるってわがままな話ですよね。よくばりな性格かも。決めたら曲げないし、がんこだと思います。だから誰にも相談しません。やりたいと思ったことに他人からいろいろと言われたくないという気持ちがあるので。それに自分で全部やりたいと思ってしまうから、そういう意味では周りに仕事を振るのが苦手。マネジャーではなく、プレイヤータイプです。3つ4つのことを掛け持ちして落ち着かないということもありません。むしろ複数のことを同時にこなしていたいし、常に新しいことの刺激がほしいと思っています。
コア・インタレストは、スポーツとスポーツ選手の支援ですかね。スポーツはやるのも観るのも好きで、昔はプロ野球選手になりたいと思っていました。運動に関しては負けず嫌い。でも、薬学部を選んだのは、父を早くに病気で亡くしたことが理由だと思います。医学部に行ける頭脳はなかったですけど(笑)。

現在、ファーコス・スポーツファーマシスト・クラブの活動が活発になっています。私を含め何人かがセミナー講師の機会を得たり、競技連盟の医事委員となりアウトリーチ活動を積極的に行っている人もいます。クラブ設立から4年が経ちましたが、東京五輪も控えていますし、会社の事業として確立したいと考えています。個人的には、スポーツに関わる人・運動好きな人が多く利用して頂けるような薬局を併設した鍼灸院を開業する・・・という夢をひそかに抱いています。

 


 

アイデンティティは薬剤師、キャリアの中心はあくまで薬剤師。」と、自分を確認するかのように最後に言っていたのが印象的でした。スポーツファーマシストと鍼灸師が融合した新しいスタイルの薬剤師像がこれからどんな風に描かれるのか楽しみです。

岡田さんへのコンタクトは上記Facebookからお気軽にどうぞ。