P-Edgeな人のコア・インタレスト
~あなたを突き動かしているものは何?~
Vol.3 ノートをまとめるのが好きだから(古川晶彦)
取材:2018.11.26
こんにちは、P-Edgeの富澤です。
エッジの立った薬剤師さんからキャリデザインを学ぶ第3弾。
今回のお相手は、
「新卒で出版社」
という古川晶彦さん。
1994年星薬科大学卒、株式会社南山堂取締役・編集長、物静かな雰囲気を漂わせながら、時折見せる笑顔が素敵な東京都在住の48歳。
古川さんと知り合ったきっかけを思い出せない。南山堂さんから出版された書籍の分担執筆をしたときだろうか?どこかの学会の年会でもお会いしたような。Facebookでつながったのはいつだろうか?
そんなことを考えながら、久しぶりの再会を楽しみに、本郷三丁目駅から南山堂の本社を目指しててくてくと歩く。う~ん、思っていたよりも距離あるなぁ。
先日、ある大学でのキャリアに関する授業で、薬学部卒でも多様な職業の選択肢があることをお話しました。病院、薬局、ドラッグストア、製薬メーカー以外にも、コンサルティング業界、IT業界、ヘルスケア業界、メディア業界などがあるよと。受講していた学生さんからメディア系への食いつきがあったので、僕の大学時代の同級生が出版社に新卒で入社したこと、以前の職場の同僚が出版社に転職したこと、病院薬剤師をからWebメディアに転職した人がいることなど、具体例を挙げたらとても興味を持ってくれました。その学生さんにはこのブログのことをお伝えして、次回は出版社に就職した薬剤師を取材することを約束しました。
さて、誰にお願いしようかなぁと思い、出版業界の人に聞いてみるのが一番ということで、久しぶりに古川さんにメッセンジャーでコンタクト。「薬学部出身で出版社に行った人を取材したい」と事情を説明したところ、「私も薬剤師ですが・・・」と。確かに!ならば古川さんに取材を受けてもらうのが一番。ご快諾ありがとうございました。ということで今回は、薬学生・薬剤師ならおなじみの南山堂で数々の書籍や雑誌の企画・編集に携わってこられた古川晶彦さんを取材しました。
入社時、薬学部出身者は一人。
―古川さんは新卒で南山堂に入社されたんですよね。
そうですね。入社当時、薬学部出身者は私一人でした。現在は6人います。6年制の新卒も採用しています。ご興味ある方は弊社ホームページからエントリーしてください。
―このブログは学生さんにも見てもらっているので、せっかくなのでお伺いしますが、どんな学生が受けに来られますか?
出版社でのアルバイト経験を持つ学生、授業で使っていたような教科書を編集したいという学生がいます。一方で時々、実務実習などで自身の適性を判断されたのか、薬剤師業務に関心を持てないからというネガティブな動機で出版業界を目指す人に出会います。しかし、我々は薬剤師業務に役立つための情報を発信しているわけですから、雑誌や書籍の企画・編集のためには常日頃から医療や薬剤師業務に関心を持たなければなりません。薬剤師業界全体を盛り上げたいという精神でメディアを扱っていますからね、読者への興味関心が根底に必要です。
―学生時代に出版に関わるとか、企画を立てたり、原稿依頼の営業に行ったりという経験は、普通はないですよね。どこで出版業界への興味を持つのでしょうか。
私の場合は、学園祭の実行委員をやった時に、パンフレット作成のために学内の先生に執筆依頼をしたり、編集をしたりといったメディア制作のプロセスを経験しました。また、スポンサーの手配のために製薬会社などの企業を訪問し、交渉するといった営業も経験しました。企画を立てて、人と交渉し、何かを創り上げる経験がきっかけになったのかもしれません。
―薬学部出身であることはどの程度生かされますか?
医学・薬学の専門用語を知っているという点で入社時のスタートラインでは多少有利かもしれません。しかし、自然科学書を作るためには専門知識を常にアップデートしなければなりませんので、向上心や好奇心があれば薬学部出身でもそれ以外の出身でも大きな違いはないと思っています。ちなみに、弊社編集部の社員構成は6:4ぐらいで理系出身者が多いです。
専門知識も重要ですが、学生時代に構築した人脈はわれわれ編集者にとって大変貴重です。編集者の1つの仕事として各方面の専門家に執筆を依頼します。その専門家たちとのコネクションが必要となるのです。編集の仕事では、大学や研究室の先生、実務実習先の医師・薬剤師をはじめ、いろいろな人と関係構築できる力や経験がものを言います。その点で薬学部出身がアドバンテージになるかもしれませんね。
若さゆえ、直感で行動していた
―古川さんご自身の就活はどんな感じだったんですか?
薬剤師としての就職は選択肢にありませんでした。研究を続けたいと思って、4年生の夏に某国立大学の修士課程を受験しました。読んでいた新聞の記事に惹かれて、その研究を行っている教授を尋ねたところ、「受けるのは自由だよ」と言われ・・・みごとに落ちました(笑)。試験終了後にその再びその教授を尋ねたところ、「君が受かるには、あと2~3年はかかるよ」と言われ・・・諦めました(笑)。
―それはなかなか苦いエピソードですね。想いはあったけど、実力は足りなかったということですか?
最初にその教授を訪問した時、実はアポも取らずに行ったんですね。次の日に会ってくれましたが、はっきりいって何も考えていませんでした。卒論研究とは異なる分野の研究でしたし、新聞を読んで、単純に興味関心で行動していた。本当に直感だけで。
その教授とは3回ぐらい面談したと思いますが、実力が足りないことをはっきり言ってもらって、良い気づきを得ることができました。自分を客観視するきっかけになりましたね。
就活どうしよう、どうしよう。
―大学院受験に落ちて、どうされたんですか?
今の自分の実力ではどこの大学院も受からないだろうし、大学入試で1浪しているし、これ以上親に迷惑はかけられないと思って、就職しようと考えました。周りの友人は内定をもらっているし、卒論研究も仕上げないといけないし、秋ごろから始まる3回の卒業試験も控えているし、どうしようどうしようって感じでした。就職の前に、卒業も危うかったですよ。自分なりに振り返りをして、出版業界かなと。
―ところで、どうして薬学部に?
高校時代、医師、歯科医師を目指す友人に囲まれていたので、自然と医療系の学部を目指していました。両親は書家なので、家庭環境に医療の色はありませんでした。私も4歳から書道を始めて、文字を書くことは好きでした。ただ、大人になるにつれてその関心も薄れ、20歳の時には書道を止めてしまいました。でも、文字による表現への関心は根っこにあって、出版業界という選択肢が浮かんだのかもしれません。
人と話すのが苦手な消極的な性格
―いつごろから出版業界に関心を持っていたんですか?
大学入学時、高校時代の恩師に薬科大学に合格したことを報告した際に、将来は医療系の出版社に行きたいってことをポロっと言っていたんです。
少なくともMR(当時はプロパーと呼ばれていた)は選択肢にはなかったです。自他ともに営業は向いていないと認めていました。南山堂での採用面接で苦手なことを聞かれたときに、「人と話すのが苦手です」と答えるくらいでした。「ちゃんと話せていますよ」と言われましたが(笑)。それくらい消極的な性格だったんですよね。
出版社での編集という仕事に対して、ライターと違うことは認識していましたが、企画を立てていろいろな人を巻き込んで1冊を作り上げるというよりは、デスクワークで一人こつこつと作業をするというイメージでしかなかったんですけどね。
―自分なりに振り返りをして、とおっしゃっていましたが、自分の中でどういう自問自答があったんですか?
少なくとも薬学での学びは生かしたいと思っていました。一方で、小さいころから書家の両親に正しい字を書く、正しい字で人に情報を伝えるということを教えられてきたので、であれば、専門書を扱う出版社で校正という仕事に生かせると考えました。それから、小学生の頃、新聞部に入っていたのですが、そのときに作った新聞を先生に褒められたことが、二十何歳になっても記憶に残っていたということもありましたね。
文字を扱うことがアイデンティティー
―古川さんのコア・インタレストは?
自分の好きな科目の習ったことをノートにまとめるという作業が好きでした。あ、でも決して勉強ができるわけではありませんよ。自分のわからないところをノートにまとめて、要点を整理する行為が好きでした。夏休みの自由研究とかレポートを両親や先生に褒められることがあったので、昔から得意だったんでしょうね。
それから、私は本の虫というわけではないんですね。一般書は読みたい人が読む本ですが、専門書は仕事のために読みたくないと思っても読まなければならないことがあります。いかにわかりやすく、読みやすい本を作るかという観点においては、むしろ本好きじゃないほうが読者の目線で編集できることがあるかもしれません。
―情報をまとめる、編集する、表現するという自分の強みを自覚していたんですか?それとも内発的モチベーションから?
いや、自覚はしていなかったですね。大学時代のノート編集も小学生時代の新聞部での活動も、強みを生かしてやっていたというより、単に好きでやっていました。性格的にはかなり消極的な人間なので、強みを生かして率先してやっていたわけではありません。
―子供のころに慣れ親しんだものとか成功体験とかって、人間形成に大きな影響を与えていますよね。
そうですね、文字を扱うということに自分の強みがあったんでしょうね。逆に他に何もなかった。特別成績が優秀だったわけでもなかったし。中学高校と書道を続けながらもなんとなく通り過ぎていったことが、後から振り返るとそこにアイデンティティーがあったように思います。
彼女:「出版業界?いいんじゃない。」
―出版業界に行くことを誰かに相談しましたか?
当時付き合っていた彼女には相談しましたね。同級生で20歳ぐらいからの付き合いでした。今の奥さんです。出版業界に行きたいと言ったところ、「いいんじゃない。」とさらっと言われましたね。細かいことにこだわって、時間をかけて取り組む私の性格を彼女もよく理解していたから、出版業界に行くことに違和感がなかったのかもしれません。
彼女は結構早い段階から病院薬剤師志望で、私が就職どうしようと悩んでいた時には、彼女は大学病院の研修生になることが決まっていて、ちょっとうらやましいなという気持ちはありましたね。
―古川さんの手掛けた書籍で奥様が勉強するなんていうシチュエーションもあったんですか?
そうですね、入社当時私は、1920年から続いている「治療」という雑誌の編集部に配属されて、その増刊号が出たときには書店で奥さんが購入してくれました。
ポジションや役割が人を変える
―古川さんのキャリアパスの課題はありますか?
今、仕事のやり甲斐を感じています。医学・薬学の幅広い領域を扱いながら、今後やってみたい企画もありますし。ただ、昨年から今のポジション(取締役)になって、これまでずっとプレイングマネジャーだったのが、マネジメントに軸足を置かなければならない状況をうまく自分で消化できずに、結構悩んでいますね。役職的には会社全体のマネジメントを要求されていますが、プレイヤーとしての楽しさが忘れられないので、そこから脱却するのが難しいというか。編集者として25年のキャリアが長いか短いか・・・、年齢的にもまだまだ人脈作りとかプレイヤーとしての役割が必要なのではないかといった葛藤があります。
―人と話すのが苦手、消極的という古川さんが会社全体のマネジメントに携わる中で、自分の性格と求められる役割とのマッチングについてどうお考えですか?
根本的な性格はなかなか変えられないですよね。昔、編集長を命ぜられたときに断ったことがあります(笑)。でも、やらざるを得なくて「Rp.(レシピ)」を創刊しましたが、その際に「編集長」という肩書が自分を変えたような気がします。自分が関わった本が売れて、反響が大きいと自信もつきますし、ポジションや役割がその人を作るということを実感しましたね。
できることをやり続けることも重要。でも、やったことがないことにチャレンジすることが面白いし、新しいもの作って「いいね!」って言われる喜び、それがものづくりの本質かな。
古川さんが立ち上げた「Rp.(レシピ)」。現在はリニューアルされて「Rp.+(レシピプラス)」に。
書道と出版の融合
―最後に古川さんの将来の夢をお聞かせください。
実家の書道教室のことを最近考えるようになりました。薬学部を選択したときも、進路を決めたときも、教室を継がなくていいと言われましたが、父が80歳を迎え、お弟子さんも数多くいるので、教室をつぶすのもどうかと。せっかく自分が出版の世界にいるので、何かそことの融合ができないかなとぼんやり考えています。書道を教える師範ではなく、教室の運営ですね。さらにその中で趣味でも見つけられればいいかなと思っています。無趣味で仕事一本なもんですから(笑)。
「私は薬剤師の資格はありますが、調剤できません」と笑いながらも「編集の仕事をするようになってたくさんの薬剤師さんとお会いして、現場の仕事が楽しそうだなと思うようになったんですね。一度現場に立ってみたいなという想いも芽生えました。」と取材の最後におっしゃっていたのが印象的でした。
医療現場と出版社で交換留学できたらお互いに視野が広がるかも、なんてことを考えながらこの記事を書いている時、ふと自分のデスクの横の本棚に目を向けると南山堂の出版物がいくつも。信頼性の高い情報を発信したいという古川さんの哲学が現場の薬剤師の知識を支えているんだなぁとしみじみ感じた取材でした。
古川さんへのコンタクトは上記Facebookからお気軽にどうぞ。